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ロレックス GMTマスター Ⅱ バットマンを売るべきか売らざるべきか?

私は実際に使うためにGMTマスター IIを購入した。その後価値が急上昇したため、その存在意義について論じてみたい。

私はHODINKEEのライターになる前は、イチ読者だった。妻かインターネットのサービスプロバイダーに聞いてもいいが、ネット接続している時間のほとんどをこのサイトに使っていた。多くの読者が憶えていると思うが、2013年9月、ジョン・メイヤーをゲストに迎えた「Talking Watches」の第1話がネット上に公開された。ジョン・メイヤーとベン・クライマーが、フレンチビストロのバーで時計について語らったのだ。これ以上何を望む?

 時計愛好家として印象的だったのは、彼らの趣味に対する、いい意味で自由放任主義的な態度だった。メイヤーの時計は、どれも特別なときに身に着けられていた。彼のコレクションのなかで私が特に注目した時計がある。ロレックスのGMTマスター II 116710BLNR(メイヤーは "ブルーブラック "と呼んでいた)だ。

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2013年というのはもっとシンプルな時代だった。時計を語ることがビジネスになる前の時代で、ロレックスのモダンなニックネームが時計の流行になるのはまだ先だった。「Talking Watches」でメイヤーがGMTについて「ステージで気軽に身に着けられる、トラベルタイム機能を備えたシンプルなモダンウォッチ」と 語ったことからもわかるように、現代の時計収集のニュアンスはまだ完全には理解されていなかった。今日、ロレックスがこのように表現されることを想像してみて欲しい。しかし、当時はそれだけで十分だったし、私を夢中にさせるのにも十分だったのだ。

 翌年のパリ旅行では、有名な時計店をくまなく回ることにした。その目的? あのブルーブラックのGMTを、実物で見ることだ。当時はかなり新しいモデルだったので、見つけるのは簡単ではなかったが、今のように不可能というほどではない。 お店を1軒1軒回ったがなかなか見つからなかった。しかし、旅行の最終日に、大きなウィンドウの専門店に在庫があるのを見つけた。それを手にしたとき、「わぁ、これは本当にずっしり重くて光っているなあ」としみじみ思ったのを憶えている。

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それがとても気に入ったので、手に入れようと思った。そして貯金を始めた。

 それからの2年間、学生がメディアのインターンシップに参加できるようサポートするという地味な仕事の給料から、毎月数百ドルを貯めていった。タイミングよくボーナスが出ると、その額はさらに増えた。その間に、私はこの大きな買い物についてじっくりと考えた。本当に欲しいかどうかを。

 私は、後で売ることを考えて時計を買うわけではない。私にとってはタトゥーをいれるかどうかのような、文字通り一生の決断だ。ワシントンD.C.郊外にある地元の販売代理店に入るまで、優柔不断な日々を送っていたのだが、たまたまそこに1本入荷されていた。販売員が金庫から取り出してきて、「これがバットマンです」と教えてくれた。初めて聞くニックネームだったが、その販売員は堂々としていて、声も魅力的だった。まるでクリスチャン・ベールから時計を買うようなものだ。

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その日のうちには買わなかったが(以前にも言ったが)、心は決まっていた。あとは、自分のための1本を見つけるだけだ。

 私はピッツバーグに家族がいて、地元の販売代理店を知っていた。事前に電話で「時計の在庫はありますか」 と尋ねると、「ああ、ブルーザーね」と店主は答えた(一体いくつのニックネームがあるのか)。在庫はないが、2日以内に入る予定だと言ってくれた。これは2016年、市場が爆発的に上がる直前のことだった。

 父と一緒にちょっとしたドライブをして時計を取りに行った。その日、私たちはそれぞれ1つずつ時計を買ったので、その買い物は特別なものになった。父の時計はブルーダイヤルのデイトジャスト 41で、今では "バイデン "と呼ばれるものに似ている。私たちが店に到着すると、「ブルーザー」はカウンターの上で約8000ドル(約87万円)の値札をつけて私を待っていた。私たちが店を出た後、自分の手首を見てある種の達成感を感じた。この先自分が持つ時計はこれだけでいい、といったような。

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ナイーブ? ああ、そうかもしれない。しかしそれから約2年間、私はその時計だけを身に着けていた。実際、私はしばらくの間、時計に関する記事を読むのをやめていた。渇望が癒されたからだ。

 それでも、私はロレックスの市場全体を気にするようになった。SS製のスポーツウォッチが1本も手に入らないという話を聞くようになったのだ。時計店のカウンターが空になったという伝説も聞いた。私にとっては異様な光景だ。また、中古市場での価格高騰も目にするようになったが、そういうことを頭の中に入れないようにしていた。